組織で働く人間が引き起こす不正・事故対応WGによる人事部門へのヒアリング
<特別編 第4回>

« 【特別編 第3回】伊藤俊幸氏へのインタビュー(前記事へのリンク)   【特別編 第5回】津田雄一氏へのインタビュー(次記事へのリンク) »


株式会社日立製作所 フェロー、理事、未来投資本部ハピネスプロジェクトリーダー
株式会社ハピネスプラネット代表取締役CEO 工学博士、IEEE(米国電気電子学会: Institute of Electrical and Electronics Engineers)フェロー、 東京工業大学 情報理工学院 特定教授 矢野和男氏へのインタビュー

【矢野氏のご紹介】
1984年日立製作所入所。91年から92年までアリゾナ州立大学にてナノデバイスに関する共同研究に従事。1993年単一電子メモリの室温動作に世界で初めて成功し、ナノデバイスの室温動作に道を拓く。
2004年から先行してウエアラブル技術とビッグデータ解析を研究。論文被引用件数は4500件、特許出願350件を超える。「ハーバードビジネスレビュー」誌に開発したウエアラブルセンサが「歴史に残るウエアラブルデバイス」として紹介される。開発した多目的AI「H」は、物流、金融、流通、鉄道などの幅広い分野に適用され、産業分野でのAI活用を牽引した。のべ1000万日を超えるデータを使った企業業績向上の研究と心理学や人工知能からナノテクまでの専門性の広さと深さで知られる。
無意識の身体運動から幸福感を定量化する技術を開発し、この事業化のために2020年に株式会社ハピネスプラネットを設立、代表取締役CEOに就任。
(著書:「予測不能の時代 データが明かす新たな生き方、企業、そして幸せ」より引用)

●はじめに

【写真】

今回は、特別編の第3弾。独自のウエアラブルセンサによる研究で、VUCA(Volatility<変動性>, Uncertainty<不確実性>, Complexity<複雑性>, Ambiguity<曖昧性>の頭文字をとった略称)とも言われる予測不能な時代の変化に適応していくために必要なことを、目に見える根拠をもって導き出した、日立製作所の矢野氏にインタビューを実施した。

このデータの結果から、「幸せ」という普遍的なものが“予測不能”と闘う重要なベースであることが明らかとなっている。「内部不正防止ワーキンググループ」として調査している“働く人間に不正する気を起こさせない対策”との関連から、すぐに出来る対策まで、興味深いお話をたくさん伺うことが出来た。刮目してお読み頂ければ幸いである。



●「人」が前提、そして見えないものを数値化し根拠を示した矢野氏の研究

矢野氏は、人間、社会、組織行動に関し、ウエアラブルセンサ(現在ではスマートフォンのアプリも)を使って大量のデータ(延べ1000万人以上)を過去15年以上にわたり収集・分析されている。リアルタイムで人々のコミュニケーション量を計測し、同時にアンケートにより幸せ度を測ることで、コミュニケーション、体の動き、幸せ感の関連性が見えてきた。また、個人だけでなく周囲に与える影響なども見える化し、より具体的な対策の立案に資している。(80社以上に対して調査済み。計測・調査対象組織は、小売業、製造業、IT企業、コールセンタ、病院、学校、役所等多種多様であり、また、職種も営業、企画、人事、開発等、非常に幅広い。)矢野氏本人も、腕につけたウエアラブルセンサで自身の記録を残し続けており、これまで15年間365日24時間 にわたり50ms単位でデータを蓄積している。このデータの集積(氏は「ライフタペストリ」と呼んでいる)は、圧巻である。

この手の学術研究では、これまでアンケートによる調査等が主流であり、人と人との関係性が直接に、そしてリアルタイムで見えないという弱点があった。矢野氏はウエアラブルセンサを使うことで、このアンケート調査の弱点を克服し、リアルタイムで人の幸福度を測定できるようにした。そしてそこから「人間」としての生命活動から見える全く新たな相関を導き出した。

この研究は、「管理のためという発想ではなく、人間の心や行動の関係性を明らかにしたいという動機に基づくものである」と矢野氏。人間を予測が可能な機械のように思っている人がまだまだ多い現状に対し、実際のデータによる事実という根拠を示すことで、「人」を前提とした“予測不能”への向き合い方を提案する[1]

●「幸せ」を高めることと「悪いことを起こす気にさせないこと(太陽的対策)」の関連

※本ワーキンググループでは、性悪説に基づいた「外側から締め付ける」ことが多い、セキュリティの一般的対策を「北風的対策」と呼んでいる。様々な形の制限を設ける対策がそれである。このセキュリティの対策は、宿命的に、働く人間の利便性を下げる副作用が避けられない。一方、人事施策やマネジメント等によりESを高めることで、働く人間に「悪いことをする気を起こさせない」アプローチが「太陽的対策」である。 本ワーキンググループでは、「内部不正の抑制につながる」だけでなく、「組織のオペレーションを円滑に回す」というセキュリティの本質につながる後者の対策に軸足を置いた活動を展開している。[2]

本ワーキンググループが着目している「太陽的対策」について、「幸せだと悪いことをしない、不幸せだと悪いことをする、という傾向は表裏一体で同じこと。太陽的対策が不正や事故の防止に効くことは、学問的に見ても疑いようがない。また、コミュニケーションの悪い組織は、人々が不幸せで事故が起きやすい。言いたいことが言えず、ミスや不正が起きやすい。」と矢野氏は語る。

特に、心理的安全性(みんなが気兼ねなく意見を述べることができ、自分らしくいられること)を初めて提唱したエイミー・C・エドモンドソンの医療ミスに関する6か月にわたる調査[3]が、多くを物語っていると矢野氏は言う。エドモンドソンの調査では、有能なチーム*1)の方が、そうでないチームよりもミスの発生数が多かったのだ。この結果は、組織研究の指標でみると明らかにおかしかった。常識的には、有能であればミスが少ないことが予想されるが、それに反していたのだ。しかしそれには原因があった。有能なチームの方が、報告する数が多かったのだ。つまり、ミスを報告することに不安や忖度がある組織よりも、ミスを率直に報告し、そこから学ぶことができる組織であることが有能な組織の土台だったのである。調査の結果、「ミスの可能性について率直に話せる」と感じられているかどうかが、ミスの発生確率と完璧に相関していたそうだ。同書[3]では、「明瞭かつ率直にコミュニケーションを図ることが事故を減らす重要なポイントである」とも記載されており、太陽的対策でもある心理的安全性を高めることが、セキュリティの文脈でも重要であることが分かる。
*1:高い成果を上げており、メンバー同士の尊敬しあう気持ち、協力の度合い、高パフォーマンスを上げる自信、満足度、のそれぞれが高いチーム([3]より)

また、矢野氏は、「北風的対策」は価値を生まないばかりか、逆に価値を損なっていると指摘している。北風的対策として行われる、監視、ルール作成、セーフゲート導入、チェックリスト導入といった対策は、人が本来持っている「状況に応じて判断する力」を奪っているという。その結果、目的よりも手段が優先される風土が生まれ、自分の頭で考えない人が増える。そのことにより、予測不能な変化に適応する組織としての能力を下げるとのことだ。その時々の目的と状況によって「有効な手段」が変わるというのは当然のことであるにもかかわらず、それが分からない人たちが増えてくるということだ。これは、セキュリティにも当然当てはまる。日々刻々と変わる攻撃手法や、働き方の変化等によって生まれる新たな脆弱性に対し、人々の柔軟に対応する能力を奪っているとも言える。もちろん、北風的対策が必要な場面もある。しかし、それだけをセキュリティ対策だと考え、締め付ける対策に偏ることは、組織にとってプラスを生まないだけでなく、逆にマイナスに働く側面があるということを理解する必要がありそうだ。

「統制的なことは限界がある」と矢野氏は言う。その時に見えている状況で作ったルールやチェックリストは、変化が起きた時には適用できなくなる。そうなったときに、それでも旧来のルールを守る方を優先するのか、それとも目的や状況に合わせて正しいことをする方を優先するのか、どちらを優先すべきかは明らかである。しかし、この状況に直面した時、多くの社会人が旧来のルールを守る方を優先し、目的や状況に合わせてどうするべきか(例えばルールの見直しも含めて)検討するといった発想にはならないだろう。(「統制」一辺倒では)目的や状況に合わせて自分が信じる正しいことをやるよりも、言われたことだけ守っていれば良いという人が増える。それは、信念や倫理観という軸が無くなることに繋がり、結果として不正が増えることとなるだろうと、警鐘を鳴らす。

今回ヒアリングした矢野氏の知見は、心理的安全性を高める太陽的対策は、働く人間の「幸せ」を高めて組織力を向上させるだけでなく、内部不正などに対するセキュリティ対策として有効であることの裏打ちとなった。これからは、太陽的対策の重要な側面として、「変わっていくことを選べる文化」の醸成や、心理的安全性を高める施策といった、組織の土台となる部分についても意識していく必要がありそうだ。

●データが示す「幸せ」と「不幸せ」の結果

矢野氏は、「幸せ」と「不幸せ」の関係は、20年程前から様々なエビデンスで明確に示されていると語る。それは、これまで一般的には、「仕事が失敗すると不幸せになる、病気になると不幸せになる」という因果関係を当たり前としていたが、この因果関 係が実は全くの逆である、ということ。実際には「不幸せだから仕事がうまくいかない、不幸せだから病気になりやすく治りにくい」のである。

-----------
【「不幸せ感」が高い人の傾向】
   ・営業の生産性、受注率 :30%低い
   ・創造性 :1/3に減少
   ・離職率 :2倍以上に増加
   ・不幸せと感じている人が多い会社の利益 :平均18%低い
   ・不幸せと感じている人の寿命 :10年短い(運動などの前向きな行動が減少することも要因)

【「幸せ感」が高い人の傾向】
   ・生産性 :31%高い
   ・売上 :37%高い
   ・創造性 :3倍多い
 
 参考:心理的安全性の効果[3] ※2017年のギャラップ調査
   「自分の意見は職場で価値を持っている」と答える従業員の割合が60%になると
   ・離職率 :27%減
   ・安全に関する事故 :40%減
   ・生産性 :12%増
---------

これらの研究結果・データが「明確な根拠」となって示しているのは、不幸せな人を増やすことは、企業として見過ごすことのできない大きなリスクだということである。逆に、幸せな人を増やす対策は、企業の成長と利益に結び付くものであり、さらには情報セキュリティ事故を含む様々な「組織事故」を減らす対策にもなる[4]。(参考:[4] 図1)そしてそれこそが、我々の提唱する「太陽的対策」の本質なのだ。

●「幸せ感」を高めるためにできること

矢野氏は長年の研究によって、「幸せ感」を高めるための対策を、個人・繋がりの2つの側面から導き出している。それは、変えることが難しいものではなく、全て改善できるものだ。しかもとても簡単で、効果も大きいことが多数のデータから証明されている。是非、今すぐに取り入れてみてほしい。


【1】個人:各個人の幸せを高める4つの能力・スキルからみる対策

幸せとは身につけられる能力やスキルの一種であり「自らの力で、幸せを持続的に高めることができる」と矢野氏は語る。(前々回のインタビュー記事である慶應義塾大学の前野教授の“幸せの4つの因子”にも関連する⇒ https://www.jnsa.org/result/soshiki/99_maeno_202103.html

この幸せを高める能力・スキルは、下表の4つ(略してHEROという)に分類される。HEROが下がると、不幸せになり、結果として不正、事故、業績不振、離職に繋がる。各個人がHEROを高めることが出来るよう、組織としても意識的にバックアップする姿勢が重要だ。そのためにまず理解しておきたい点として、現状、多くの組織が重要視している「効率化」というものが、結果としてHEROを阻むことになりがちであることに注意が必要だと、矢野氏は著書[1]で指摘する。

従来からある仕事のあるべき姿
(効率化)

 

幸せを高める4つの能力

具体的な動き

安定させ平準化する
・組織や役割に沿った貢献を求める
・一律性や安定性を求める
・過去の失敗をチェックしてリスクを避ける 等


プラス ⇒

Hope
(信じる力)

先が見えなくても、信じて、自ら進む道を見つける力

・不確実な中でも人を信頼しようとする
・自分が持っていない視点を教わろうとする
・違いや変化の中にチャンスを見出す

説明できるようにする
・始めるのに合理的説明を必要とする
・仕事は標準化し、横展開する
・与えられた資源やルールの範囲で活動する


プラス ⇒

Efficacy
(生み出す力)

現実を受け止めて行動を起こす力

・自分が感じるままに、まず始める
・検討はほどほどに、先が見えなくとも行動する
・目的にこだわり、必要なことは何でもやる

損失を出さないようにする
・目標と現実とのギャップを埋めようとする
・準備と資源が整ってから進み始める
・利益が見込まれた場合のみ動く
・物事を短期に成功させようとする


プラス ⇒

Resilience
(立ち向かう力)

うまくいかなくても、困難に立ち向かう力

・現実を直視し、やるべきことを素直に受け止める
・決意をもって今あるもので進もうとする
・許容できる損失を明確にし、踏み出そうとする
・困難には立ち向かい、最高の学びの機会にする

管理・統制できるようにする
・リーダーの下で役割を決め、分業する
・損失が出ないように責任範囲を決める
・効率の最大化を追求する


プラス ⇒

Optimism
(楽しむ力)

現実は常に複雑だが、それでも前向きな物語を描くことが出来る力

・協力者をつくり、互いに助け合う
・意見や立場の違いを超えて対話する
・大義に向かって共に創造する

※ 効率化も重要だが、その形式のみにとらわれるのではなく、「目的」を重視し、変化を後押しできること、つまり「HERO」を同時に意識することが大事になってくる。 (「予測不能の時代 データが明かす新たな生き方、企業、そして幸せ」[1]から筆者作成)

効率化は、これまでの失敗や不具合を繰り返さないためには非常に大切なものだ。しかし効率化のみを圧し進めると、先が見えなくても前向きなストーリーを描いて立ち向かっていく力(HERO)が低下し、幸福感が低下し、変化に適応できない組織になる可能性がある。例えば、損失を出さないよう、そして説明ができるようにするために形式化された承認手順によって、新たな取り組みを始めるのに何週間も何か月も要することは、試行錯誤しながら前進しようとする人の足を引っ張り、前に進む気力を削ぎ取っていく。これでは、変化に適応する大きなチャンスを逃すことになる。さらには、こうした「組織への諦めや不信感」が、セキュリティの維持や内部不正の抑制に逆行する形となるのは明らかだろう。矢野氏は著書の中でも、効率化の判断基準のみで判断し、幸福化への基準を持たない行動は「一見、より厳しいものの見方のように見えて、変化の中では何もしない方に人を誘導する甘い見方に転じてしまう」と指摘し、「効率化を進めるほどに、より強く幸福化も推奨することが、より厳しい現実に向き合うことを可能にする」と提言している。効率化・幸福化の両軸を意識したバランスをとった舵取りが、これからの組織運営には必須となってきそうだ。


【HEROを高めるための注意点】「良い幸せ」と「悪い幸せ」を区別すること
矢野氏の行った調査では、「幸せだ」と答えている人には全く違う2つのタイプがあったという。1つは自分も周りも幸せにするタイプ、もう1つは周りを不幸にし、もしくは周りに関心を持たず、自分だけ幸せになろうとするタイプである。矢野氏の研究は、これら2タイプの無意識の体の動きにはそれぞれ異なる特徴があることを発見した。その結果、それぞれのタイプが及ぼす影響についても、明らかとなった。組織として予測不能な時代に適応する力をつける(各人のHEROを高める)には、前者のような周りも幸せにする人をいかに増やすかが重要であり、後者のような自分だけが幸せになろうとする人が増えることはこれに逆行するという。周りを犠牲にしてでも自分だけHEROになろうとする人は、組織全体の力を下げてしまうため、組織にとっては最大の悪であると矢野氏は言う。自分も周りもHEROにしている人こそ貴重な存在であり、そのような人が組織の幸せをつくり、前向きな力をつくり、予測不能な時代に適応する組織をつくるのである。組織をまとめるリーダーは、そのような人こそ評価すべきであり、逆に自分だけ幸せという人を評価したり褒めたりすることは結果として組織力を下げるという点を意識しておく必要がある。すなわち、「組織の幸せは、メンバーが周囲を元気に明るくしているかで決まる」「まわりの人を含む幸せの総量を増やす幸せ」が重要であり、それにより「集団の中でポジティブな影響が循環する」こととなる。この循環を作っていくことがリーダーとして最重要な課題なのだ。


【2】繋がり:信頼できる関係を作るための4つの特徴からみる対策

上記記載した各個人で高められるスキルがある一方、人は一人で生きているわけではないので、集団としての幸せを高める方法も必要である。矢野氏は研究で10組織468人5000人日の計測データと幸せに関する質問紙尺度を収集・解析した。その結果、業種や業務を問わない普遍的な4つの特徴が導き出された。いずれもコミュニケーションに関連する特徴であり、下記の4つ(略してFINEという)に分類される。日々、これらを意識的に取り入れることで、幸せな集団を作っていくことが出来る。

 

説明

幸せな集団

幸せでない集団

Flat
(均等)

人と人とのつながりの格差

つながりが均等(上下だけでなく横・斜めのつながりも多い)

つながりに偏り(特定の人に集中)

Improvised
(即興的)

会話の長さと頻度(1時間の会議は5分の会話の代わりにならない)※土台として心理的安全性が必要

5〜10分の短い会話が高頻度で行われる(予測不能な展開に行動を起こしているということ)

短い会話が少ない。長い会議や会話が多い

Non-verbal
(非言語的)

間・トーン・顔の向き等の非言語コミュニケーション。共感や信頼を持っていると体の動きが同調する傾向がある。
(コミュニケーションの約9割は非言語であり、表現の主役は非言語である。)

会話中に身体が同調してよく動く

会話中に身体が同調せず動きも少ない(うなずきも少ない)

Equal
(平等)

発言権の格差
(別の研究[3]によると、チームメンバーの個々の知的能力は、チーム全体の問題解決能力と関係しないことが分かった。集団としての能力が高いチームの特徴には、他者の感情をくみ取る能力、発言権の平等、女性比率の高さの3つがあり、「発言権の平等」についてはチームの幸せとチーム能力の高さの双方に関連している。)

会議や会話での発言権が平等

会議や会話での発言権が特定の人に偏っている

※「予測不能の時代 データが明かす新たな生き方、企業、そして幸せ」[1]、「恐れのない組織」[3]より著者作成

特に3つめのNon-verbal(非言語的)に記載した身体運動の同調性について、矢野氏の研究では非常に興味深い結果が出ている。それは、身体を相手に同調させて動かすことで、周囲を幸せに出来るという点である。さらに、その波が反射して返ってくることで自分自身も幸せになる。もちろん、相手との共感や信頼関係が前提ではあるが、会話中の体の動きに注目し、自ら同調させて動かすことで、共感と信頼を発展させ、自分も周りも幸せになるという。そして結果として組織の力を高めることに繋がる。これこそ、今すぐに出来て、大きな効果をもたらす対策である。筆者も、すぐに実施してみたい。

また、矢野氏は著書の中で、FINEの4つは、「組織における信頼できる人間関係を醸成する条件を表している」と記している。信頼できる関係は集団として成果を出すための基本であり、信頼感の無い組織が成果を出せない組織であることは、データからも示されている。

FINEを下げる行動の最たるものが、ヒエラルキー、役職、立場を強く意識させる無意識の壁である。変化に立ち向かい、状況や目的に合わせて柔軟に対応し成果を出すことや、顧客に喜んでもらうことよりも、その壁に従うことが優先されているのでは、生産性も低下し、従業員が不幸になり、ストレスや罹患が増え、離職が増えることに繋がる。これらが、その組織のセキュリティレベルを低下させることは、自明の理であろう。

FINEを下げる行動を意識的に控え、FINEを高める行動を意識的に取り入れることで、幸せな集団を作り、予測不能な時代に適応する強い組織にするとともに、その組織のセキュリティレベルも高められるであろう。

まずやるべきことは意識づけ

矢野氏に、今まずやるべきことは何かと質問したところ、まず、幸せ感を高めることが重要であることを、意識づけすることという趣旨のアドバイスをいただいた。

これまで、「幸せ」という言葉自体を組織運営の文脈で使うこと自体、ためらいや恥ずかしさのようなものがあったかもしれないが、上述してきた通り高い効果があるということは多くのデータや論文で明確となっている。

この意識変革を難しくしているのは、これまで良かれと思って実施していた「型にはめ、それを遵守させること」*2であり、これこそが仕事だと思う人が増えてしまったことにあるという。その型が何のためにあるのかという目的を忘れ、型にはめること自体を最優先とすることで、知らず知らずに「先が見えなくても行動する人」を奨励しない空気が出来てしまった。
*2:「スピード感の必要な場面でも、ルールに則って過去データを徹底的に調べ、計画を作り、PDCAを回す」とか、「正解もなく、価値観も多様化しているにもかかわらず、変化の前に標準化した業務を見直すこともせずにそのまま徹底させる」とか、「チェックリストを作って、そこに記載されたことを表面的に確認する方法で内部統制する。またそのチェックリストの項目が全てであり、正しいと信じて、見直すことをしない。」とか

戦後の混乱期には、新しい世界を作っていくしかないため、チャレンジングな人がどんどん出てきたし、それを阻むような組織意識もなかったため、チャレンジすることが当たり前だった。しかし、豊かになった後では、安全側を最優先し、「型にはめ、それを遵守させること」が仕事だと思っている人が増えてきた。形式の遵守(管理)が必要なのは当然ではあるが、HEROやFINEを犠牲にして管理を強めることばかりに注力するのは、企業にとっての最大のリスクだと矢野氏は指摘する。管理と幸せ感を高める活動は両立させないといけないし、両立は可能なのである。

現在では、多くの企業が、管理型(controlling)(ルールや指示を与えて、言われた通りやることを求める)と成果型(信賞必罰、KPIを決めて結果はそれでみる)のハイブリッドでマネジメントしているのではないだろうか。しかし50年来の人間研究では、どちらもダメだと言うことがデータによって明確に示されている。

管理型で「この通りやれ」と強権的に言われたら、様々な変化に対応することよりも、言われたことを守る方を優先するようになる。これによって、変化に対応する力が落ちてしまうことは明らかである。人は、自分なりに創意工夫し、挑戦し、やり方を変えたらうまくいったという経験がモチベーションになる。管理型一辺倒は、これを潰してしまうことになる。多くの場合、「この通りやれ」と指示する側は変化の状況を本当には分かっていない。現場の状況変化は、現場で対応している本人が一番わかっている。それを無視して「いいから言われた通りやれ」と言われたら、「言われたこと」しか行わないようになる。このような毎日が、働く人間の「やらされ感」を高め、活力を奪っていく。さらに、成果型として他の人ではなく自分のラベルの付いた成果だけを高めれば良いという価値観が醸成され、「個人商店化」していく。組織が「組織」ではなく単なる個人の寄せ集めになって、全体のパフォーマンスを下げると矢野氏は指摘する。

この現状を変えていくには、まずはHEROやFINEなどの幸福化の方法論の重要性を意識づけし、腹落ちさせることだ。

次に、組織の在り方自体を変えていかなければならない。幸福化の方法論を、意思決定できる人も含めた会社としてのトータルの仕組み、人事や評価の仕組みに活かしていく必要がある。

具体的には、次の点を変化させていくと良いと、矢野氏は言う。

1:目的と状況に合わせて手段は変わりうることを現場に浸透させる。

目的をしっかりと共有したうえで、状況を一番把握している最前線の人が手段を考えるようにする。目的が最上段にあり、そこに向かって、状況に応じて手段を変えるのが仕事であると、明確に伝え続けることが大切。決して、決められた手段が最上段ではないことを、管理者も現場も理解することである。現場の人間には、自分だけ知っている状況に合わせて、自分の工夫で一歩前進できたことがモチベーションとなり生きがいとなる。それが組織としての力になっていく。

2:状況に応じて判断するための規範を作る。

いわれた通りやるだけでも、結果だけもダメなので、その中間の部分として共通の規範を作っておく。(無形の型や共通言語を規範として定めておく)

3:成功したかどうかよりも、そこから学んだかどうかを重要視する。

成功は保証されなくても、成長や学習はその気になれば100%出来るものである。学びを継続することがとても重要である。毎週、2%だけ新しいことを取り入れると、1年後には3倍になる。「イノベーション」というと大きく変えるイメージがあるが、実は毎週2%の変化が大事である。実際に世の中は、週2%以上のスピードで変わっている。これが実現できるのは、「状況に合わせた判断力」あればこそである(上記1)。そして、これを習慣づけていくことが大切である。

まとめ

これまでの数十年間、脈々と培ってきた「成果を出す方法」は、ここ数年の変化の波においては必ずしも適切な方法とは言えなくなっている。コミュニケーションの手段・範囲・スピードも様変わりし、環境の変化、未曽有の災害、世界規模のパンデミックなどを通じて、組織の存在意義、人の価値観も大きく変わってきている。当然、“成果”の内容そのものも、「成果を出す方法」も変わっていかなければ、組織の生命を維持することは出来なくなってくる。

しかし、これを真摯に受け止めて、変化を行動に移すためには、固まってしまった価値観に対して真に腹落ちせざるを得ないものを突き付けるしかない。それが【データ】である。矢野氏の研究は、これまでデータとして示すことが出来なかった「人」の内面からくる行動変化や、それによる組織の成果への影響を関連付けることを成し遂げ、私たちが気付かなかった(もしくは見て見ぬふりをしていた)現実を突き付けた。このデータから導き出された答えが、今変わるべき私たちの道に光を当てた。

組織を構成しているのは「人」である。「人」は「機械」ではない。感情や心が複雑に影響し、行動としてアウトプットされている。そのアウトプットの集まりが組織の成果になっているという大原則に、今改めて気付く必要がある。つまり、これからの「成果を出す方法」を見出すためには、いかに「人」を理解できるか、そしていかに旧来の方法にしがみつくことなく前進できるかにかかっている。

ここで、私たちのワーキンググループが考えるセキュリティ対策としての「太陽的対策」[2]について、今一度思い出してほしい。
 ・太陽的対策:人事施策やマネジメント等によりESを高めることで、働く人間に「悪いことをする気を起こさせない」アプローチ。
 ・北風的対策:性悪説に基づき様々な形の制限を設ける、セキュリティの一般的対策。

太陽的対策・北風的対策

矢野氏の研究から導き出された、HEROで前向きな自分自身をつくり、FINEで組織全体として幸せ感を高めていくという対策は、まさに悪いことをする気を起こさせない「太陽的対策」[2]に直結している。人の幸せ感を高めることで予測不能な時代に適応する組織をつくり、成果を生み出すだけでなく、その土台を揺るがすセキュリティリスクを下げる対策にもなっているのだ。

物理的に大きな投資をすることなく、人に寄り添ったアプローチをすることで、これだけのメリットがある(そしてそれはデータで根拠が示されている)というのに、それでもやらないという選択肢などあるだろうか?

セキュリティには、自由を制限する北風的対策が必要であることは事実である。しかし問題は、北風的対策だけがセキュリティ対策であるように考えられている点にある。この世界が、人が形成している世界である限り、セキュリティにも太陽的対策が必要であるのは疑いようがない。

このことを、多くの組織が認識し、意識的に実行していくことを願う。それが、これから起こりうる予測不能な時代を牽引する前向きな活動の『足元を守る』ことになるのだから。

おわりに

「幸せとは状態ではない。幸せとは行為である。」矢野氏の著書[1]で、とても印象深いものとして心に残った言葉である。一見、一つの「状態」を保っているかに見えることも、実はその背後で無数の「行為」が続けられている結果であるという。つまり、幸せという「状態」があるのではなく、幸せを作る「行為」を続けているというのが実態なのである。この真実に、大いなる希望を感じた。幸せを「状態」と捉えてしまうと、そこには「諦め」や「他人事(ひとごと)」といった手触りがにじむ。しかし幸せが「行為」であるならば、そのハンドルは自分が握っていることになる。自分の判断で幸せという行為を選び、自分の力で実行すればいいだけだ。

記事をまとめながら、アランの「幸福論」[5]の一節を思い出した。
   Concerning ill humor, I should like to say that it is no less a cause than an effect.
   It us not because I have succeeded that I am happy; rather it is because I was happy that I succeed.
   We also have an obligation toward others to be happy.
   The effort we make to be happy is never lost.

   不機嫌というものは、結果でもあるが、それに劣らず原因でもある。
   成功したから満足しているのではない。満足していたからこそ成功したのだ。
   幸福であることが他人に対しても義務である。
   幸福というものには、人が思っている以上に意志の力が働いているものなのだ。

今回のインタビュー記事は、セキュリティに関連しない方も含めて、多くの方に読んでいただきたいと願う。ここに書き切れなかったことも多々あるため、興味のある方は是非、矢野氏の著書をお読みいただきたい。そして、1人でも多く、1組織でも多く、幸せの「行為」を選択・実行し、それが波紋となって日本中・世界中に広がっていってほしいと願う。

最後に、大変お忙しい最中、そしてコロナ禍にも関わらず、快くインタビューに応じて下さった矢野氏に、メンバー一同、心から感謝の意を表する。

※本記事は、矢野氏のインタビュー内容から構成しているため、趣旨等について詳しく知りたい方は下記文献をご参照頂きたい。

 

(JNSA 組織で働く人間が引き起こす不正・事故対応 WG 辻井葉子)


【参考資料・出展】
[1] 矢野和男:予測不能の時代 データが明かす新たな生き方、企業、そして幸せ,草思社,2021年5月
[2] 甘利康文:組織で働く人間が引き起こす不正・事故対応WG,JNSA Press Vol.49, pp.13-14, 2020, https://www.jnsa.org/jnsapress/vol49/3_WG-2.pdf
[3] エイミー・C・エドモンドソン:恐れのない組織 「心理的安全性」が学習・イノベーション・成長をもたらす,英治出版,2021年2月
[4] 甘利康文:組織で働く人間が引き起こす不正・事故対応WG,JNSA Press Vol.35, pp.6-7, 2013,https://www.jnsa.org/jnsapress/vol35/4_WG.pdf
[5] アラン著、白井健三郎訳:幸福論 日本語版、旺文社文庫、1968年,
  Alain著 Robert D. and Jane E. Cottrell訳: ALAIN ON HAPPINESS、 Frederick Ungar Publishing co., Inc. 1973年




« 【特別編 第3回】伊藤俊幸氏へのインタビュー(前記事へのリンク)   【特別編 第5回】津田雄一氏へのインタビュー(次記事へのリンク) »