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(27)ダウンロード規制拡大方針の動向(2019年3月5日)

読売新聞編集委員
若江 雅子

違法著作物のダウンロード規制を拡大する著作権法改正案が波紋を広げています。漫画などを無断掲載する海賊版サイトの被害が深刻化する中で、その対策の一つとして浮上したものでしたが、対象を悪質サイトなどに限定せず、著作物全般に拡大することから、漫画家や著作権法の研究者、産業界など各方面から懸念の声が上がっているのです。今国会に改正法案が提出される予定ですが、3月1日の段階で、自民党の総務会が「関係者の理解が十分に得られていない」などとして改正案の了承を先送りする事態となっています。すべてのインターネットユーザーの日常的な利用に関わる問題ですので、みなさんにも考えてもらうきっかけになれば、と思っています。

問題となっているのは、著作権を侵害するコンテンツだと知りながらダウンロードする行為を違法化し、そのうち有償著作物の違法ダウンロードには刑事罰を科すという内容の著作権法改正です。罰則は2年以下の懲役または200万円以下の罰金(またはその併合)となります。

もともと、著作権法では個人の私的使用目的の複製は許容されてきたのですが、インターネット時代に違法著作物が横行するようになり、違法著作物のアップローダーだけでなく、ユーザー側の行為も規制しようという動きが少しずつ広がり、音楽と映像については2009年と12年の法改正で導入されました。今回はこれを、漫画や写真、文章、プログラムなど全ての著作物に広げる予定です。ただ、後述するように多くの批判が出ているため、執筆時の3月2日時点で文化庁が提示している案では、刑事罰の対象は「反復継続して」違法ダウンロードを行うケースに絞り、また、原作の登場人物を用いて漫画などをパロディー化した二次創作物も除外する方向です。

この法案が成立すると、例えば、SNSやブログの記事を保存しようと思っても、この中に一部でも著作権を侵害するようなイラストや表現が含まれていた場合は違法になります。インターネットを閲覧中、気になる記事やイラストを見つけたけれど、今は時間がないから後でじっくり見よう、と保存しておくことは誰でもよくありますよね。つまり、私たちの日常的な行為が広く違法となってしまうことになるのです。

音楽や映像にくらべて、イラストや文章などは誰もが気軽に作成できるので、権利者の層は圧倒的に広がります。中には、権利を強く主張しようとは思わず、むしろ、広く共有されることに喜びを感じる権利者もいるでしょう。でも、ユーザーには、どれが違法でどれが合法かはすぐには分かりません。もしかすると、ネット利用を萎縮させるかもしれません。守ることが難しい法律ができることでモラルハザードを引き起こす懸念もあります。

驚くのは、すべてのインターネットユーザーの行為にかかわる大きなテーマでありながら、検討が異例のスピードで進められてきた点です。

今回の法改正方針を検討した文化庁の文化審議会著作権分科会「法制・基本問題小委員会」にこの問題が議題として提案されたのは昨年10月29日です。そこから約一か月後の12月7日には事務局が中間まとめ案を提示し、まだ議事録が公開されてもいない翌1月6日にはパブリックコメントが締め切られたのです。なぜこれほど急ぐのか、と首をかしげたくなります。

実は、小委員会で検討が始まる2週間前、ブロッキング法制化について検討していた知的財産戦略本部の海賊版サイト対策検討会が紛糾の末に解散しています。政府としてはブロッキング法案を今年1月からの通常国会に提出したい考えでしたが、憲法の保障する通信の秘密を侵害する恐れが指摘され、意見がまとまりませんでした。これに代わる対策として急きょ浮上したのがダウンロード規制拡大の方針です。ブロッキング法案の提出を予定していた今国会に、代替の法案を出すということが、あらかじめ決まっていたとの見方もあります。実際、検討が始まる前に、複数の委員が事務局から1月の国会を目指している旨のスケジュールを伝えられていたと証言しています。

もちろん、海賊版サイトによる被害は深刻で、対応は急を要するものであることは間違いありません。委員会のメンバーも「海賊版サイト対策としての法的対策は必要なので、早急に検討を進めなければと思っていた」と口をそろえます。ただ、委員の多くは、海賊版サイトに限定して規制を導入するものだと思っていたようです。12月になって事務局が提示してきた中間まとめ案が、全ての著作物を対象にしていることに気づき、慌て始めたようです。

そこから一部の委員が反対に転じ、著作権法の研究者が中心となって、委員連名の反対意見書も出しました。委員会では、最後まで「議論はまだ十分ではない」「さらなる検討が必要」との意見がでましたが、法案提出まで時間がない事を理由に、議論は打ち切られてしまいました。

委員会を傍聴していて印象に残ったのが、著作権法を専門とする学者から強い懸念の声が出ていた点です。この委員会には座長役の茶園成樹・大阪大教授を除き、著作権法の学者が9人いますが、このうち7委員は事務局案になんらかの形で反対していました。さらに、今月19日には、著作権法研究の第一人者である中山信弘・東大名誉教授ら、著作権法学会の重鎮が音頭を取って、100人を超える研究者らが反対意見書を公表しました。著作権法の研究者が文化庁の方針に対してこれほど真っ向から異を唱えることは初めてのことといっていいでしょう。

専門家がこれほど危惧する理由は、もちろん様々だと思いますが、この問題が著作権法30条の解釈に大きな穴を開けかねないとの懸念が大きいのではないでしょうか。

著作権法30条はざっくり言うと、個人の私的使用目的であれば著作物の利用を認めるという規定です。この規定が設けられているのは、個人の私的使用であれば権利者の被害が小さいからという理由だけではありません。個人の私的領域内での活動の自由を保障するという大きな目的があります。こうした考え方は、1984年の文科省の国会答弁や、2014年の知財高裁判決でも踏襲されています。

これに対し、事務局案は「30条は零細な行為を認めたものに過ぎない」との解釈に基づいていて、個人の私的領域での活動を保障するという考え方が抜け落ちている、というのが反対している著作権法の学者らの見解です。通説に基づいて考えれば、「私的使用目的のダウンロード規制は、悪質で権利者の経済的被害が大きなケースに限定し、過度にユーザーの利用を制約することは避けるべき」との考え方がとられるはずだというのです。30条は、著作権法の中では数少ない、ユーザーの視点から著作物の活用の自由をうたう規定です。今後のインターネット社会の在り方、文化の在り方にも大きく影響する規定ですから、十分な議論もないまま、この解釈に穴をあけてしまうことは問題といえるでしょう。

文化庁が募ったパブリックコメントでは、534件のコメントのうち9割は反対意見だったそうです。海賊版被害の当事者である漫画家などで作る「日本マンガ学会」も反対の意見書を出しています。日本マンガ学会会長で、「地球へ・・・」や「風と木の詩」などの名作で知られる漫画家の竹宮恵子さんが会見で語っていた言葉が印象に残っています。竹宮さんは、「海賊版の取り締まりは必要」としながらも、「日本の漫画文化は、二次創作などのコミュニティーによって育まれてきた」と語っていました。やはり人気漫画家の赤松健さんも、漫画家の多くは他人の書いたイラストなどを保存し、ヒントを得ながら仕事をするので、今回の規制が創作活動に悪影響を与えないかと懸念していました。文化は模倣から生まれるものなのかもしれません。

私も、ものを書く立場の人間として著作権保護の大切さは身にしみて感じていますが、同時に、権利の保護とユーザーの自由のバランスの難しさも痛感しています。次世代に花開くはずの文化の芽を摘んでしまうことがないように、権利も文化も守る海賊版対策にするために知恵を絞る必要がありそうです。


 
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